前話で、私たちの行動の大半は無自覚であることについて書きました。それはつまり、身に付いているパターンを繰り返すだけであれば、明確な自覚がなくても、心身が勝手に動いてくれる、ということです。

たとえば、食事をするとき、手や口をどう動かしたらいいのか、そのパターンは体に身に付いています。だから、何か別のところに意識が向いていても、勝手に手や口は動いてくれるのです。そのような行動のパターンが、肉体には山ほど組み込まれています。行動パターンの集合体が肉体そのものと言ってもいいでしょう。

よっぽど特別なことがない限り、私たちの日常行為のほとんど全てが、身に付けたパターンの繰り返しで対処できることばかり。だから、自分が何をしているのか、明確な自覚がなくても、日々を滞りなく過ごせているのです。別の言い方をすれば、自分が何をしているのかについて、明確な自覚をもって取り組んでいるとき以外は、身に付けたパターンを繰り返しているだけなのです。

人間以外の動物には、自分のしていることを客観的に自覚する力がほとんどありません。だから、心身に身についたパターンを繰り返すことで、一生を終えていきます。一生どころか、世代を超えても、ずーっと同じパターンを繰り返しています。

たとえば、川の上流で生まれた鮭は、川を下って、海で数年暮らして、また川に戻ってくる。それを何万年でも繰り返しています。でも、鮭は鮭なりに、一生懸命に考えて、出来ることを精一杯やって生きていることでしょう。でも客観的にみると、身に付いているパターンの中で行動しているだけ。同じような一生をいつもでも繰り返しています。

人間は他の動物と違って、自分のしていることを客観的に自覚する力があります。だから、同じパターンを繰り返すだけではなく、未知の新しい世界を切り拓く力があります。それは、人間には自分を変える力があるということ。意識的に自分を向上させていく力があるということです。

でも、ただ何か違うことをしようと思ってもダメです。一生懸命に考えて行動しているつもりでも、自分が何をしているのか、明確な自覚があるとき以外、大抵はすでに身に付けたパターンを繰り返しているだけ。それは人間以外の動物と同じです。

本当の意味で変わりたければ、自分が何をしているのかをちゃんと自覚すること。自分の行いに対する明確な自覚があるときに初めて、パターンに埋没した日常から、新たな道へ進む可能性が拓けてくるものです。それは、人生の意義のような大きなことにも、日常の中の些細なことにも当てはまります。

たとえば、スタイルを良くしたければ、食事をしている自分を、しっかりと自覚してみてください。明確な意図を持って食べるようになると、食生活が変わります。より健康になりたければ、呼吸している自分を、しっかりと自覚してみてください。明確な意図を持って呼吸していると、呼吸の質が変わり、全身に大きな変化が起こります。

自分のしていることを明確に自覚する。それだけで、大きな変化が起こります。と言うよりも、本当の意味での変化は、自分のしていることを明確に自覚したときにしか起こり得ないものです。何かがうまく行かない、どうしたらいいか分からない、そんなときは、自分のしていることが分かっていないのです。

一生懸命に考えて、どうにかしようと思っても、自分が何をしているのか、ちゃんと分かっていなければ、結局はパターンの中であがいているに過ぎません。どんなに考えて、いろいろと工夫しているつもりでも、それだけでは、一生懸命に生きている鮭と同じです。

パターンを繰り返している心身と、それに気が付くことができる意識の力。それらは別の次元の存在です。心や体の動きを自覚できる意識の力は、人間ならでは素晴らしい能力。そして、意識の側の視点で心身と関わっていくのがヨガであり、だからこそヨガには、人生に大きな変化をもたらす力があるのです。