前話では、パターンを繰り返している心や体と、それに気が付くことができる意識の力について説明しました。それらは別の次元の存在であり、意識の側の視点で心身と関わっていくのがヨガ的アプローチ。そして、そのような視点は、普通のヨガをしているときに限らず、日常的にもすごく使えるものなのです。

たとえば、ダイエット中で食事をコントールしたいけど、「おやつを食べたい」と思ったとします。それは、その状況において「おやつを食べたい」という思いが湧くという心身の反応です。

普通なら、それを我慢しようとするでしょう。何度かは我慢できるかもしれません。でも、やがて我慢ができなくなり、おやつを食べてしまうかもしれません。「我慢しようとする」「我慢できなくて、食べてしまう」これらもすべて、心や体の反応の結果で、身に付いているパターンを繰り返しているだけです。

一方、ヨガ的なアプローチであれば、「おやつを食べたい」と思ったとき、「おやつを食べたい」という衝動が湧いたことを自覚します。そして「おやつが食べたい」という衝動を見つめます。

ポイントは、食べたい思いを我慢するのではなく、その思いがどんなものかをちゃんと見つめること。我慢するのでもなく、抵抗するのでもなく、それがどんなものかを見つめて、その思いを感じていると、それは変化していきます。肉体が本当に必要としているものでないならば、その欲求がどう変化するかを観察していると、それはやがて消えていきます。

ヨーガ・スートラ(ヨガの経典)には、ヨガの定義として「ヨガとは心の作用を止滅することである」とありますが、意識の力を活用し、自分をしっかりと見つめることで、「おやつを食べたい」という心の作用を止めて滅することが出来るのです。

そのような意識の力は、日常でもすごく役に立ちます。でも、これを活用するには、我慢や抵抗をせずに、ただ自分の中で起こっていることを見つめる能力(=内観力)を高める必要があります。十分な内観力がなければ、いくら理屈が分かったからといって、実際にはなかなか使えないのです。

上述の例で言えば、「おやつを食べたい」という思いが湧いたときに、その衝動を自覚し、それを観察しようとすることすら、最初はなかなか出来ないでしょう。(内観するということ自体をすぐに忘れてしまう)

もし内観しようと思えたとして、次のステップは、「おやつを食べたい」という思いを我慢したり、抵抗したりしないこと。でも、肉体的行動を伴う反応(たとえば冷蔵庫を開けるとか)もしないこと。これらの両立が最初は難しいでしょう。

我慢や抵抗はしない、でも肉体的行動を伴う反応もしない。これは自転車に乗るようなもので、最初はなかなかうまく行かないかもしれません。でもコツがつかめると、それほど難しいことではありません。でももちろん、自転車と同じで、どんなに説明を聞いても、実践して練習しないことには上手くなりません。

そのような意識の使い方を身に付けるのに、おそらくもっとも手っ取り早い練習方法は内観瞑想です。

じっと座って、心身の内観をし続けるのが内観瞑想。それをしていると、たとえば、足を組み替えたいとか、頭を掻きたいとか、いろいろと感じることがあるでしょう。普段なら、そのような衝動が湧いたことを自覚することもなく、すぐに足を動かしたり、頭を掻いてしまっているものです。でも、瞑想として取り組んでいる時であれば、そのような衝動が湧いたことに気づけるでしょう。それが自分の中で起こっていることに気づく練習になります。

そして、衝動に気づいたら、じっと座ったまま、その衝動を感じつつ、それに対して、自分が何をしているのかを観察してみてください。例えば、抵抗しているのか、我慢しているのか、受け入れているのか、受け流しているのか、等々。

最初は難しいかもしれませんが、自転車を乗るときのように、試行錯誤をしているうちに、「我慢したり、抵抗したりせず、肉体的行動を伴う反応もせず、ただそれを感じている状態」というのが分かるようになるでしょう。

どんな衝動であれ、ただありのままを見つめていると、その感覚が変化していき、やがては消えていくものです。物事はどんどん変化していくのが自然なあり様です。しかし、我慢や抵抗をしているときは、なかなか変化が起こりません。我慢や抵抗のエネルギーが、衝動が変化するのを押しとどめ、その衝動の存在を維持するように働いてしまうのです。

だから、衝動やそれに伴う感覚が、どんどん変化しているか否かが、我慢や抵抗をせずに、ただ感じている状態が上手くできているかどうかを知る目安になります。

どんなに自転車の知識があっても、練習しなければ、自転車には乗れません。ヨガは実践の哲学です。どんなに知識があっても、実践しなければ意味がありません。ヨガ的な意識の使い方を人生に活かしたければ、瞑想は外すことの出来ないプラクティスです。そして、実践すればするほど、過去のパターンに縛られた世界を手放して、人生を自由に歩む可能性が開けてくるのです。