幸せになりたい。人間なら誰もが思うこと。幸せになるために、どうしたらいいかを考え、それに向けて出来ることをする。あるいは、今やっていることが幸せな日常のために必要だと思って、それを一生懸命やる。ほとんどの人は、そうやって日々を過ごしています。

でも、その発想のベースは、幸せになるには何かが必要という考え。たとえば、お金があれば幸せ。素敵なパートナーがいれば幸せ。体が健康だったら幸せ。誰かが自分を認めてくれたら幸せ。外的要因が満たされれば、幸せになると思っているのです。

幸せを外的要因に求めているうちは、浮いたり沈んだりの繰り返し。周りの状況に翻弄されて、気分が上がったり、下がったり。何かがうまくいって、幸せを感じるときがあっても、それが続くことはありません。外からの刺激が続くと、心はそれに慣れてしまうので、同じ状況で幸せを感じ続けることはできないのです。

そもそも幸せとは、自分の内面で感じるもの。外的要因がどうであれば、幸せを感じている人は幸せ。周りの状況に左右されることなく、自分の内面が喜ばしい状態ならば、いつでも幸せ。つまり「幸せは外にあるのではありません。幸せは自分の中にあるのです」ということです。

でも、そんなことは誰でも知ってます。「幸せは自分の中にある」という知識は、今では常識的なことでしょう。しかしながら、実践となると話は別。知識としては十分に知れわたっていても、実際に外的要因にかかわらず幸せな自分を実現している人は、まだまだ少数派です。

でも、それも仕方ありません。人間は有史以来、幸せになるために外的要因を満たす努力をずっとしてきたのです。外的要因を満たす努力をする癖が、心にも体にも深く染みついていて当然です。本当の意味で幸せになるには、そのような古い世界観から脱皮して、外的要因にとらわれない幸せを見出す必要があります。

外的要因にとらわれない幸せを見出す取り組み。その代表的な試みが瞑想です。瞑想していると、外的要因に翻弄される部分が、確実に減っていきます。そして、外的要因に翻弄される心とは別に、自分の中に芯となる存在があるのが分かるようになってきます。

その芯となる存在は、生命エネルギーの源泉。私たちが命あるものとして存在できるのは、それを可能にしているエネルギーの源を持っているから。私たちの中には、生命エネルギーの泉があり、それは生きている限り、枯れることなく、わき続けています。

そのエネルギーを感じるとき、私たちは心の深いレベルで幸せを感じます。幸せ、愛、喜び。そんな想いが中からあふれてきます。それは中からあふれてくるものであって、外的要因に左右されるようなものではありません。むしろ、そのエネルギーが外の環境に働きかけたとき、その力は世の中を「幸せ、愛、喜びの方向」へと導くパワーになるでしょう。

そんなエネルギーを誰もが持っているのだけれど、瞑想しないとなかなか気づかない。もちろん、瞑想してもすぐに気づけるとは限らないけれど、瞑想をしなければ、幸せを外に求める人生をいつまでも続けることになるでしょう。

瞑想は、じっとしているだけのようだけど、それは積極的に幸せを見出す技法であり、とてもポジティブな取り組みです。「幸せは自分の中にある」という知識を、意義のある実践的な知恵にする上で、瞑想は必須の行いなのです。

外的要因に翻弄される生き方を卒業して、自分の中のエネルギーの源泉を活かす生き方へと成長していく。私たちは、もうその段階に来ています。もともと、体を動かすヨガは、瞑想の準備体操のようなもの。体が整ってきたら、いつまでもポーズばかりしてないで、瞑想に取り組みましょう。

すべては自分の中にある。それを単なる概念で済ますのではなく、実際に人生に活かせる知恵とする上で、瞑想はとても大切な取り組みなのです。