自分の心に目を向けて、考えるのをやめて、そこにある思いをただ感じとろうとする。それが心の掃除。心にわいてくる思いをどうにかしようとすると、ますます心の動きが増えてしまい、掃除にはなりません。ただ見守ること、それがポイントです。

実はこれ、瞑想に通ずる話。瞑想指導をしていると「瞑想をしても雑念がわいてきて、なかなか無になれないないのですが、どうしたらいいでしょうか?」という質問を受けることがよくあります。

瞑想中に雑念がわいてくるのは、悪いことではありません。その雑念にとらわれることなく、その雑念をわくに任せて、ただ見守る。その過程が心の浄化のプロセスになっているのです。

雑念を抑えて無になろうとしても、臭いものに蓋をするようなもので、その雑念のエネルギーは心の中にとどまってしまいます。でも、雑念を抑えないようにしても、そこで思考が働きだしてしまうと、浄化にはなりません。ただ雑念をわくに任せて受け流すこと。それが心の浄化の秘訣です。

空を流れる雲を見ているように、心の中にわいてくる雑念をただ見守り、受け流す。そうすることで、雑念のもとになっていたエネルギーが解放されて、心が綺麗になっていくのです。

心というのは、エネルギーの集まり。私たちは日々の生活の中で、無意識のうちに、要らないエネルギーを心にため込んでしまっています。

日頃から自分の心に素直に生きて、何事も我慢することなく、喜怒哀楽をその都度ちゃんと表現することができれば、要らないエネルギーがたまることもないでしょう。

でも現代人は、ついつい自分の感情を抑えがち。状況に応じて、常識的に振る舞うように教育されている私たちは、無意識のうちに自分の感情を抑えてしまっています。特に、やりたくないことを我慢してやっているとき、ストレスのエネルギーがどんどん溜まっていきます。

瞑想をして、心の働きを止めようとすると、それまでにため込んでいたエネルギーがあふれ出してきます。それを私たちは、雑念と呼んでいるのです。

そのエネルギー(=雑念)は、何もしないでただ見守っていると、勝手に解放されていきます。その解放が進むにつれて、心はどんどん浄化され、綺麗になり、軽やかになっていきます。

「心の中にわいてくる雑念をただ見守り、受け流す」というのは、ヒーリングの世界でよく言われる「ありのままの自分を受け入れる」というのと共通のアプローチです。

心の中にわいてくる雑念をただ見守り、受け流す。それを日頃から意識して実践していると、ありのままの自分を受け入れる力がついてきます。そしてそれは「本来の自分を取り戻す」というヨガの目指していることとも一致します。

一見何もしていない時間。はたから見るとぼーっとしているような時間。それが実はとても大切な心の浄化の時間です。心にわきあがる雑念を、エネルギーの解放が起こっているという視点で見守ってあげてください。

それが習慣になると、頭の働きが良くなります。認知力も、理解力も、記憶力も、判断力も確実にアップします。自分をただ見つめる。それを習慣にしていると、脳の働きが良くなることは、最近の脳科学でも明らかになっています。

瞑想を日々実践している人は、まだまだ少数派かもしれません。でも、体を動かすヨガが世界中に広まったように、いずれは瞑想の効果が知れ渡り、「健康でいたいなら、瞑想するのが当たり前」という時代が来るかもしれません。

瞑想的アプローチによる心の掃除は、アンチエイジングの視点でいえば、山ほど可能性が隠されている宝の山。実践の余地がたくさん残されています。そのことに気づき、実践し始めた人から、若々しさを取り戻し、本来の自分らしい喜びに満ちた人生へと歩みを始めることでしょう。