ヨーガスートラの原文はインド古語(サンスクリット語)で、その訳文もいろいろあります。ここでは、下記の4冊の訳文を参考にしながら、読み解いていきます。

参考書籍(番号①~④が書籍と訳文の対応を示します)
①やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ(向井田みお著)
②解説ヨーガ・スートラ(佐保田鶴治著)
③インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ(スワミ・サッチダーナンダ著)
④現代人のためのヨーガ・スートラ(グレゴール・メーレ著)

【ヨーガスートラ:1章29節】

①ジャバ瞑想によって、全生物に宿る命の源を知ることができ、真実の理解を邪魔する障害が消えます。

②上記の行法を修するならば、内観の力を得、三昧に対する障害をなくすることができる。

③これを修することにより、すべての障害が消え、同時に内なる自己の知が明け初める。

④この実践によって内なる自己を知り、障害はなくなる。

ポイント1
原文をカタカナで書くと「タタハ・プラティヤク・チェータナ・アディガモー・アピ・アヤンタラーヤ・アーバーヴァシュ・チャ」です。それぞれの語句の意味は下記の通り。

タタハ:それにより
プラティヤク:内部へ、中心へ
チェータナ:知性、意識、精神
アディガモー:到達
アピ:また、同時に
アンタラーヤ:障害となるもの
アーバーヴァシュ:存在しない、滅亡、消えて無くなる
チャ:まさに、また、および、など

従来の訳文の中には、元の文章にはない言葉をいろいろと付加しているものがありますが、原文を素直に訳すと「それにより、知性の中心へと到達し、同時に、障害となるものは無くなっていく」といったところです。

ポイント2
「障害」について、従来の訳では「真実の理解を邪魔する障害」「三昧に対する障害」などとしているものもありますが、原文では「アンタラーヤ:障害となるもの」としか書かれていません。そして、障害とは何かについては、次節で説明されています。

ポイント3
プルシャが命をもたらしている、プルシャが命をもたらしている、、、、それを繰り返し唱え、その働きについて想像し熟慮すると、当然のことながら、意識はプルシャ(=知性の中心)に向かいます。

1章16節にあったように、純粋なる意識(プルシャ)の視点に立つと、物質世界でのもろもろの事象(グナ)にとらわれなくなります。そうなると、様々な障害は自ずと解消されるでしょう。

これをボディ・マインド・スピリットの視点で説明すると、命の源泉はスピリットであり、スピリットの意識に目覚めたとき、ボディ&マインドのレベルのことは問題ではなくなる、と言うことです。

ポイント4
障害が無くなることを現している「アーバーヴァシュ」という言葉は、「消えて無くなる」というよりも、「もともと存在しない」というニュアンスがあります。つまり、本節で言わんとしていることは、「障害がなくなる」というよりも、プルシャの視点に立つと「もともと障害なんて存在してなかったことが分かる」ということなのかもしれません。

【ここまでのまとめ(ボディ、マインド、スピリットの視点での訳)】

1章1節:これから、ヨガの解説をする。

1章2節:ヨガとは、マインドの働き(=心の作用)を解消することである。

1章3節:それができると、スピリットが本来の状態になる。

1章4節:普段は、スピリットとマインドが一体化して、区別がつかなくなっている。

1章5節:マインドの働きには、5種類あり、それらは人を悩み苦しませたり、そうでなかったりする。

1章6節:マインドの5つの働きとは「①正しい認識、②誤った認識、③言葉による概念や想像(ヴィカルパ)、④放心状態(ニドラー)、⑤感覚の保持(スムリティ)」である。

1章7節:正しい認識には「①自分の経験に基づき、その経験から直接分かったこと、②経験から類推して分かったこと、③経験に基づいたものではなく、本などから学んだこと」の3種類がある。

1章8節:誤った認識とは、何かを誤って解釈したことによる、正しくない理解である。

1章9節:実際には存在していなくても、言葉で理解して想像する。それがヴィカルパ(言葉による概念や想像)である。

1章10節:ニドラー(放心状態)は、何かに依存していて、想念が生まれない状態である。

1章11節:スムリティ(感覚の保持)は、何かを経験して感じたことが、消えることなく残存することである。

1章12節:マインドの働き(=心の作用)は、アビャーサとヴァイラーギャによって解消される。

1章13節:アビャーサは、ある状態にとどまろうとする取り組みを、繰り返し行うことである。

1章14節:その状態は、時間をかけて、中断することなく、意識を向けて、繰り返し実践することで、確固たる境地となる。

1章15節:自ら経験したことに対して、あるいは、自らは経験せずに伝え聞いたりしたことに対して、何かをしたいという欲求を克服して、対象をありのまま受け入れる。そのような意識がヴァイラーギャである。

1章16節:最高のヴァイラーギャは、純粋なる意識(プルシャあるいはスピリット)の視点であり、その視点に至れば、物質世界でのもろもろの事象(グナ)にとらわれなくなる。

1章17節:身体的感覚に関すること、心的感覚に関すること、究極の幸せの境地に関すること、自我の意識に関すること、それらを知ることで、完全なる理解に至る。

1章18節:あとは、想念を終わらせることを繰り返し行う。それは以前から存在しているサンスカーラの残りである。

1章19節:想念が生まれるのは、霊的な存在と、物質的な要素とが結合することによる。

1章20節:何かをしたいと思って、何か新たな行動をすると、それがこれまでの記憶や経験と結びついて、以前とは異なる新たな想念となる。

1章21節:獲得された想念により、とても強い思いで、さらに何かをしたくなる。

1章22節:想念とは異なるものがある。それは、穏やかなリラックスした状態、かつ、とらわれることのない中立な状態で、想念を超えたところにある。

1章23節:それはまた、イーシュヴァラ(全てを司る神的な聖なる存在)にすべてを委ねるということでもある。

1章24節:何らかの思考(クレーシャ)が生じる。何らかの行為(カルマ)をする。それらの結果(ヴィパーカ)が生じる。それがまた新たな思考や行為の原因(アーシャヤイル)となる。そのような事柄に影響を受けないものがあり、それがプルシャ(意識の源・真我)である。プルシャは、イーシュヴァラ(全てを司る神的な聖なる存在)が特別な形で現れたものである。

1章25節:そこ(プルシャ)は、最上の全ての知の源泉である。

1章26節:それ(プルシャ)は、太古からもともと存在している。それはまた、知を授ける存在であり、時間によって制約されることがない。

1章27節:それ(プルシャ)は、言わば「命をもたらすもの」である。

1章28節:それを繰り返し唱え、その働きについて想像し熟慮せよ。

1章29節:それにより、知性の中心へと到達し、同時に、障害となるものは無くなっていく。