快適ではないことを我慢して頑張っておこなう修行は、ワンネスから遠ざかる行為。梵我一如に向かう成長を促したいならば、いかに快適に行なうかがポイントであり、愛や喜びを感じることこそが、魂の成長を促す本当の修行です。

ヨガのポーズ(アーサナ)をするときも、そのような視点を忘れないでください。アーサナをするとき、人はついつい頑張ってポーズを取ろうとしがちです。そんなとき、人の意識は我慢して耐えるモード。ワンネスから遠ざかる方向のことをしています。

でも、あまり簡単すぎることをしても効果がありません。簡単すぎると、刺激にならず、喜びを感じることができません。それらの中間、適度な刺激を効かせることが、アーサナをするときのポイント。つまり、楽過ぎてもダメ、頑張ってもダメ。ちょうどいいところを見つけるのが大切なのです。

ちなみに、どんな意識でヨガをしているかは、体つきに現れるものです。ちょうど良い刺激を効かせるように意識してヨガをしていると、やや細身のスラっとした体形になっていきます。無駄な脂肪や固さがなく、でも適度な筋肉が付いた、しなやかな体。それがヨガをしている人の体つきです。

継続してヨガをすることで、がっちりとした体形や、力強い体形になっていく人がときどきいます。それはヨガのポーズが、つらいことに耐えて頑張るエクササイズになってしまっているから。実際のところ、ヨガの指導者にも、そんな人はたくさんいます。体形をみれば、ヨガに対するスタンスが分かるものなのです。

楽すぎてもダメ、頑張ってもダメ。ちょうどいいところを見つけるのが大切。これはアーサナをするときだけではなく、人生の全てに言えることです。

どんなことをするにしても、楽な方に逃げてばかりだと、生き甲斐のない人生になって、毎日がつらくなっていきます。かと言って、頑張りすぎてもうまく行かない。ちょうどいいところを探すことが大切。お釈迦様の表現で言えば「中道」が大切なのです。

中道を良しとする。それは言うまでもないかもしれません。でも、なんとなく日々を過ごしていると、人はすぐに中道から外れてしまいます。中道を歩み続けるには、明確な意図を持って中道を見い出し、そこから踏み外さないように気を使って歩む必要があります。

人というのは、ついつい頑張りすぎるもの。頑張りすぎて、しんどくなって、楽な方向に逃げようとする。でも、楽な方向に逃げても、うまく行かなくて、それでまた頑張ろうとする。なんとなく生きていると、中道から外れたところで、行ったり来たりを繰り返してしまいます。(下手なダイエットと、そのリバウンドなどは、分かりやすい例でしょう)

強すぎず、弱すぎず。ちょうど良い刺激を探しながら、いい感じでポーズを取る。言葉で言うと簡単ですが、実践は決して簡単ではありません。感覚を研ぎ澄まし、頭脳と五感をフルに使って、明確な意図を持って、取り組むべきことです。

アーサナをするとき、感覚を研ぎ澄まし、自分としっかり向き合っていると、いろいろな気づきが得られます。たとえば、何かと楽をしようとしてしまう自分、ついつい頑張りすぎる自分、つらいことからすぐに逃げようとする自分、なんとか力で乗り越えようとする自分、などなど。

アーサナはただのエクササイズではありません。それは人生の縮図であり、人生に対するスタンスが、アーサナに現れます。真摯にアーサナに取り組んでいると、中道が何なのかが分かってきます。そして、アーサナで得られた気づきや知見は、人生のすべてに活かすことができます。それこそがアーサナの意義であり、それがヨガをするということなのです。