梵我一如に向かう成長を意識的に促す取り組み。それが本来のヨガのあり方です。

私たちの魂は、肉体をまとい、様々な経験をしています。何度何度も生まれ変わりを繰り返し、たくさんの経験をする中で、少しずつ魂を成長させていく。経験こそが魂の栄養。そして、たっぷりと栄養を得て、充分に成長した暁に、やがて梵我一如の花を咲かせるときがくる。それがヨガの基本的な考え方です。

人の魂は、経験という栄養をたっぷりと得て、いずれは梵我一如の花を咲かせるときがくる。それを意識的に促す取り組みがヨガ。つまりヨガとは「魂の成長を促す栄養を意識的に与えること」であり、それがヨガの修行です。

では、魂の栄養となる修行とは、どんなものでしょう?

古くからある修行の多くは、つらく厳しいもの。なぜなら、成果を得るには、つらいことを乗り越えなければならないと、人はずっと信じ込んでいたから。でも、それが間違いだったことに、現代を生きる私たちは、気づき始めています。

つらい修行をしている人は昔からたくさんいます。でも、それをやり遂げて、梵我一如の世界で花開いた人のことを、私は聞いたことがありません。その事実から分かるのは「昔ながらのつらい修行は、うまくいかない」ということです。

ところで、スピリチュアル系の人たちの間で知られている「ワンネス体験」というものがあります。ワンネス体験は、実際に経験した人の話を聞いたことがありますが、それはあらゆるものとの一体感を感じる体験。あるいは、すべてが愛の現れであることを、魂レベルで感じる体験。古くから言われている梵我一如と、ワンネス体験はおそらく同じものなのです。

古くからある修行は、今の自分を否定し、改善する努力がメインですが、ワンネスへの道は正反対。ありのままを受け入れていく、許しのアプローチです。我慢して努力するのではなく、愛、喜び、楽しみ、幸せ、ワクワク感など、ポジティブな感情を感じることこそが、ワンネスへの道だと言われています。

そう考えると、従来の修行の多くは、目指す方向とは、まるで逆のことをしています。快適ではないことを我慢して頑張っておこなう修行は、ワンネスから遠ざかる努力。つらい修行に励んでいる僧侶がたくさんいるのに、いつまで経ってもお釈迦様を超えるような人が現れないわけです。

ちなみに、ここでの文章のタイトルを「とっても楽なヨガの話」にしているのも、以上のような考え方がベースにあります。つらいことを我慢すること、苦しみに耐えること、やりたくないことを頑張ること。そのようなことは、すべて間違い。愛や喜びを感じる経験こそが、魂の成長を促す良質な栄養。梵我一如に向かう成長を促したいならば、いかに快適に行うかがポイントなのです。

愛や喜びを感じること、心が震えるような感動で涙すること、楽しく笑うこと、感謝の想いを抱くこと、愛する人との一体感を味わうこと、ワクワクすることを楽しんで行うこと。そのようなことこそが、魂の成長を促す本当の修行です。

ヨガというと、エクササイズとしてポーズをすることがメインになりがちですが、その場合も心地良い感覚をちゃんと味わうことが大切。アーサナをするときも、それが魂の成長に役立っているかどうかを意識してみてください。ヨガはただのエクササイズではなく、魂の成長を促す意識的に取り組みなのです。