マインドフルネスの瞑想のポイントは、ありのままを観察し、受け入れること。そして、ありのままを受け入れる力は、筋力などと同じで、意識してトレーニングすることで育まれていくものです。
ありのままを受け入れることは、決して簡単なことではありません。例えば、子育てを想像してみてください。子供がなにか悪さをしている。そのことに気づいていながら、それに対して何もせずに、ただ見守る視点を保つ。普通は難しいでしょう。
このとき、対象に目を向けるだけでなく、そこにある感覚を我が事としてちゃんと感じることが大切。子供の例で言えば、ただほったらかしにするのではなく、子供がなぜそれをするのか、その気持ちをちゃんと分かっていることが大切。共感する気持ちを持ちながら、ただ見守る。それが出来たときに、ヒーリングが起こり、そこにあったネガティブなエネルギーが消えていきます。(子供の例であれば、いずれ子供の行動に変化が起きるでしょう)
ありのままを受け入れるというのは、ただほったらかしにするのではありません。そこにある想いや感覚をちゃんと感じることがポイント。気づいていながら、感じていながら、でもそれをコントロールしようとせずに、そのままを見守ること。それがありのままを受け入れるということです。
共感しながら、ただ見守る。そのためには、相手が成長して良くなっていくことに対する100%の信頼が必要です。すべての存在は、成長のプロセスにあり、それをコントロールしようとすることなく、ただありのままを受け入れていると、自ずと成長して良くなっていく。それが分かっているとき、100%の信頼を持って、共感しつつ、見守ることができるようになります。
100%の信頼を持って、共感しつつ、見守る。それは愛を持って見守ると言ってもいいでしょう。愛を感じたときに、すべては自ずと好ましい方向へ変化していきます。コントロールしようとすることなく、ただ愛を持って見守る。その愛のエネルギーを感じたときに、すべては良い方向へ変化していきます。つまり、ありのままを受け入れたときにこそ、好ましい変化が自動的に起こり始めるのです。
子育てを例に挙げましたが、目を向ける対象を自分自身にすると、それは瞑想になります。子供が相手でも、自分の心や体が相手でも、意識の使い方はまったく同じです。共感する気持ちを持ちながら、ただ見守る。それが出来たときに、ヒーリングが起こり、そこにあったネガティブなエネルギーが消えていきます。
瞑想は心や体の動きを止めることではありません。心や体から意識を切り離すことでもありません。リラックスしながら、集中した意識で、心や体の存在をしっかり認識しながら、ありのままの自分を感じること。共感する気持ちを持ちながら、ただ見守る。その対象を自分に向けるのが瞑想なのです。
ちなみに、瞑想のときに、心や体の動きを止めようとするのは、相手を自分の思うようにコントロールしようとする意識の現れです。心や体から意識を切り離して無になろうとするのは、相手をほったらかしにして自分さえ良くなればいいという意識の現れです。どちらも愛から遠ざかる方向で、本来の瞑想が目指しているものとは、まるっきり逆のことをしようとしています。
自分自身も成長のプロセスにあり、ありのままの自分を受け入れることで成長が進む。そのことを理解し、ありのままの自分を、価値判断や評価することなく、ただ感じ続ける。それが瞑想です。つまり、愛を持って見守る意識を自分自身に向けるのが瞑想であり、別の言い方をすれば、瞑想とは、自分自身を愛することによって、自らの成長を積極的に促す取り組みのことなのです。