今この瞬間に自分が感じていることに気づき、それをありのまま、意識的にしっかりと感じること。そのような視点を持つことの意義は、「マインドフルネス」がメディアで取り上げられるようになって、多くの人が理解するようになってきました。でも、そのような視点は、ヨガをするならば当たり前に必須のことなのです。

ヨガは「いろいろなポーズをすることで、柔軟性を向上しつつ、体幹トレーニングにも効果的なエクササイズ」と思われがちです。もちろんそういう側面もありますが、それらはヨガの必須のポイントではありません。ちゃんとヨガをするならば、マインドフルネス的な意識の使い方のほうが、はるかに大切なポイントです。

ヨガを通じて、自分が感じていることにちゃんと意識を向けるようになると、いろいろな発見や気づきがあります。

たとえば、もともとヨガのメインの修練は瞑想ですが、慣れないうちはすぐに雑念にとらわれてしまい、まともに瞑想できないのが普通です。でも、それがいけない訳ではありません。何も考えないようにしようとしても、いろんな思考が湧いてきて止められない。それに気づくこと自体に、大きな意義があります。

雑念の存在に気づき、それを観察するようになると、日常の思考の大半は、瞑想時の雑念と同じもので、勝手に湧いてくることが分かります。つまり、私たちは意識的にものを考えているのではなく、勝手に湧いてくる思考に基づいて行動しているのです。そして、それを自分が意識的に考えているのだと思い込んでいるのです。

雑念は、瞑想をしたら湧くのではありません。雑念はいつも湧いています。普段はそれを自分が意識的に考えていることだと勘違いしているのです。瞑想を通じて、心の働きを観察していると、そのようなことが理解できるようになります。

自分のしていることに気づけば、そこから抜ける道が生まれます。でも、していることに気づかない限り、無自覚のうちに、いつまでもそれを続けてしまいます。自分の内面で起こっていることに目を向けないと、雑念に基づく行動で日々の生活を送り、それで一生が終ってしまいます。

心の動き(雑念)に気づいたとき、もしそこから抜けたければ、それをありのまま、意識的にしっかりと感じとろうとしてみてください。対象に意識を向けて、そこにある感覚を意識的にしっかりと感じると、その感覚が生じている心身の存在と、その感覚を認識している視点の両者の存在が際立ってくるのです。

そのときに初めて、今の自分をちゃんと認識している側の視点、つまり雑念に捕らわれていない側の視点に立つことができ、雑念に翻弄された生き方から抜けることが出来るのです。

ヨガをするということは、別の言い方をすれば「意識的に生きること」です。意識的に生きていない状態とは、雑念に基づいた日常の行動を、自分が意識的に考えたことだと思って勘違いしている状態。意識的に生きるためには、雑念を生み出している心の動きに気づくことが必須です。心の動きをしっかりと見つめて、そのあり様にちゃんと気づいたとき、それに気づいている側の視点で、意識的に生きる道が拓けてくるのです。

今この瞬間に考えていること。その思考はどこから生まれたのでしょう? ヨガをするならば、自分の中の心の動きを観察する視点をいつも持つように心がけてください。ヨガの目指すゴールは、心の作用を止滅し、真我を本来の状態にしていくことなのですから。