
*** AIによる解説 ***
原文:
ते प्रतिप्रसवहेयाः सूक्ष्माः॥
読み方:
テー プラティプラサヴァヘヤーハ スークシュマーハ
英訳:
Those (kleshas) in their subtle (form) can be removed by resolving them back into their source.
和訳:
それら(クレシャ)の微細な形態は、根源へと還元することで除去されうる。
各単語の日本語での意味:
ते(te、テー):「それら」を意味する代名詞で、前の節で説明された五つのクレシャ(煩悩)を指しています。
प्रतिप्रसव(pratiprasava、プラティプラサヴァ):「逆流・還元・根源への戻り」を意味します。これは、「प्रसव(prasava)」=「生み出すこと・発生」に、「反対・逆の方向」を表す「प्रति(prati)」がついた言葉です。つまり「生じたものをもとの状態に戻すこと」、すなわち「原因(根源)にさかのぼること」を指します。
हेयाः(heyāḥ、ヘーヤーハ):「取り除くべきもの」「放棄されるべきもの」という意味の形容詞です。ここでは「除去されるべきもの」と解釈されます。
सूक्ष्माः(sūkṣmāḥ、スークシュマーハ):「微細な」「繊細な」「目に見えないくらい小さな」という意味で、ここではクレシャが顕在化する以前の、非常に潜在的で気づきにくい状態を指します。
解説:
このスートラでは、前の節までで説明された五つのクレシャ(無知、我執、執着、嫌悪、生へのしがみつき)が、まだ目に見えて現れていない「微細な段階」においても、取り除くことができるという教えが示されています。
その方法として示されているのが「प्रतिप्रसव(pratiprasava)」、すなわち「根源への還元」です。ここでいう「根源」とは、クレシャが発生する最初の原因、すなわち「アヴィッディヤー(無知)」、さらに言えば「プルシャ(純粋意識)」との誤認から生じた心の働き(プラクリティ)を指します。
微細なクレシャとは、たとえば「まだ具体的な欲望や嫌悪としては現れていないけれど、反応として潜在している心の傾向」を意味します。ヨーガ行者は、そのようなクレシャが表面化する前に、それを「根源に還元する」、つまり「自己が本来の純粋意識であることを観照し、誤認を修正する」ことで、それらのクレシャを根こそぎ取り除いていくことができるのです。
このスートラは、ヨーガの修行が単に目に見える感情や欲望を抑えるだけでなく、「潜在的な煩悩」までをも解消するためのものであることを強調しています。そして、そのためには単なる努力や行動ではなく、「観照」や「識別智(viveka)」による根源的な理解と気づきが必要であることが示唆されています。
この節は、次の「クレシャを完全に克服するための方法論(修行)」へとつながっていく重要な橋渡しとなる教えです。
*** ここまではAIによる解説。以下はそれを踏まえての解釈です ***

AI訳の「それら(クレシャ)の微細な形態」というのは、ちょっと分かりにくいですね。सूक्ष्माः(sūkṣmāḥ、スークシュマーハ)は、「微細な」と訳されることが多いけど、抽象的でイメージしづらい言葉でしょう。
微細や粗大に関わる対語として、「sthūla(粗大な)」&「sūkṣma(微細な)」、あるいは「sūkṣma śarīra(微細な身体)」&「sthūla śarīra(粗大な身体)」があります。粗大や微細というと分かりにくいけど、これらは基本的には「物質的なもの」と「非物質的なもの」を表しています。たとえば、瞑想の対象が物質的なもの(身体、呼吸)から、微細なもの(心の働き、純粋意識)へと進むプロセスで、これらの語が用いられます。
つまり、「クレシャの微細な形態」というのは「形のない心の傾向性や無意識の種のようなものとして存在している」ということでしょう。本節では、それを元の状態へと戻して手放すことが述べられています。
なお、元の状態へと戻すことを意味する「pratiprasava」は、「再び(prati)+生起・出産(prasava)」という構造で、「出現の逆をたどること」「元の状態に戻ること」を意味します。
以上を踏まえて本節を訳すと、以下のようになります。
それら(クレシャ)は、非物質的ものであり、手放して、根源に戻すべきものである。

ヨーガスートラ第2章(本節までの訳)
第1節:タパス(肉体を浄化して整えること)、スヴァーディヤーヤ (知的な理解を深めること)、イーシュワラ プラニダーナ(神に委ねること)。それらの実践によりヨガを成し遂げることができる。
第2節:
その目的は、サマーディの状態に至るとともに、クレーシャ(苦悩や煩悩)を弱めていくことである。
第3節:
アヴィディヤ(無知)、アスミタ(我執)、ラーガ(執着)、ドヴェーシャ(嫌悪)、アビニヴェーシャ(生命への固執)が、クレーシャ(苦悩や煩悩)の源である。
第4節:
アヴィディヤ(無知)は、他のクレーシャ(苦悩や煩悩)のもととなる。眠りに落ちているかのようにもろく弱く、高貴なものとの繋がりが断たれている状態である。
第5節:
永遠ではないもの、不純なもの、苦しみ、自己の本質でないもの。永遠なるもの、純粋なもの、安楽、自己の本質。それらについて、誤って認識しているのがアヴィディヤ(無知)である。
第6節:
アスミタ(我執)は、「ドゥリグ(見る者、観照者)」と「ダルシャナ(見る働き、認識の作用)」を一体視してしまうことである。
第7節:
スカ(快楽)の後に残るもの(潜在印象)があり、それがラーガ(執着)となる。
第8節:
ドゥッカ(苦しみの経験)の後に残るもの(潜在的印象)があり、それがドヴェーシャ(嫌悪)となる。
第9節:
本能的なもので、賢者であっても同じように深く根付いているものがあり、それが「アビニヴェーシャ(強い執着)」である。
第10節:
それら(クレシャ)は、非物質的なものであり、手放して、根源に戻すべきものである。