前話で説明したように、私たちの日常の行動の大半は雑念に基づいています。でも普段はまったくそのことに気づいていない。雑念に基づいた日常の行動を、自分が意識的に考えたことだと思って日々を過ごしています。そして普通は、そのまま一生を終えていくものです。

私の場合、意識的に生きることが大切であるということ、昔から何度も耳にしてきたような気がするし、自分でもそう心掛けてきたつもりです。でも実際のところ、まるで分かっていなかった。そのことが今ならよく分かります。分かっているつもりでいること自体が、無自覚な思考によるものだったのです。

自分が如何に無自覚に生きているのかに気づくこと。それは決して簡単なことではありません。そのことにちゃんと気づくには、瞑想が欠かせません。瞑想の経験を積むと、自分が如何に無自覚に日々を過ごしているのかが、段々と分かってきます。

意識的に生きる上で、瞑想はとても重要です。マインドフルネスが知られるようになって、日本でも瞑想に興味を持つ人がどんどん増えています。でも、そもそも瞑想とは何なのでしょうか?

答えはいろいろあるでしょう。一口に瞑想と言っても、その目的や実践の方法など、実に様々です。たとえば「音楽」と言っても、そこには様々なジャンルがあるように、「瞑想」にも様々な種類があるのです。

瞑想について考えるとき、一つの視点として、「瞑想している時に何か特別な体験を求めて瞑想をしているのか」それとも「瞑想していない時間を充実したものにするために瞑想をしているのか」を考えてみてください。(スピリチュアルなことに興味がある人は、前者の意識で瞑想している場合が多いかもしれません)

もしも、何か特別な体験があることを期待し、それを求めて瞑想するのであれば、信頼のできる師の下で指導を受けるべきでしょう。特別な体験を求めての瞑想には危険がつきもの。やみくもに行うと、心身症などを患う可能性があります。

一方、日々の生活を充実したものにするために瞑想するのであれば、マインドフルネスの本を数冊読んでみるといいでしょう。マインドフルネスの瞑想は、本を読むだけで実践しても、特に危険なものではありません。

ありのままを観察する。ありのままを受け入れる。マインドフルネスの瞑想を実践すると、そんな意識を育むことができます。さらに、ありのままの観察を続けていると、すべては移ろいゆくものであることが感覚として理解できるようになり、それがちゃんと理解できると執着を手放しやすくもなります。

マインドフルネスの瞑想のポイントは、ありのままを観察すること。ありのままを受け入れること。無になることではありません。特別な体験をすることでもありません。ありのままを観察する力や、ありのままを受け入れる力は、筋力などと同じで、意識してトレーニングすることで育まれていきます。

マインドフルネスの瞑想を続けていると、自分のしていることを自覚し、ありのままを観察し、ありのままを受け入れる力がついていきます。それは現代人にとって非常に役に立つ力です。

たとえば、現代人のストレスの大半は、ありのままを観察せずに、無自覚のうちに、自分のフィルタを通して価値判断していることが原因です。あるいは、ありのままを受け入れずに、無自覚のうちに、それをどうにかしようと抵抗する意識で関わっているから、ストレス状態がいつまでも続くのです。

自分のしていることを自覚し、ありのままを観察し、ありのままを受け入れることができたとき、ストレスは自ずと消えていきます。でも、いくらそのことを知っていても、それが実践できるとは限りません。実践するためには、その力をつけなければいけません。

それは筋力などと同じ。意識してトレーニングすることで育まれていくもの。健康のために、有酸素運動をしたり、筋トレしたり、ストレッチしたりするのと同様に、意識的に生きていきたいならば、瞑想によるトレーニングは、とても大切なのです。

意識的に生きていきたいならば、瞑想の実践がとても大切。もちろん、雑念に基づいた行動で日々を過ごすのが悪い訳ではありません。ストレスと戦い続ける生き方だって、悪ではありません。でもそこから抜けだして、ストレスの少ない意識的な人生を歩みたいならば、瞑想の実践はとても重要なトレーニングなのです。

ヨガをするということは、意識的に生きるということ。意識的に生きるには、そのための力をつける必要がある。そのためのトレーニングとして、瞑想はとても大切なプラクティス。だからこそ、ヨガの修練として、瞑想はとても重要な位置付けになっているのです。