何年も前の話ですが、NHKの「ためしてガッテン」で「高所恐怖症が10分で治る方法」が紹介されたことがあります。恐怖はだんだん減少するので、10分程度怖い状態を維持すれば、恐怖を克服できるというもの。実際に、高所恐怖症の人を高い吊り橋に連れて行き、画板と紙を渡し、2分毎に恐怖のレベルを記録してもらったところ、全ての被験者の恐怖が減少していき、10分程度で高所恐怖症を克服して、無事に吊り橋を渡りきることができました。

その番組を観た後、ネットで検索してみたところ、番組の内容を「怖い状態を10分間耐えれば克服できる」と理解して流布している人たちが少なからずいました。でも、前話の内容が理解できていたら、「耐えれば克服できる」のではないことが分かります。

どんな衝動であれ、ただありのままを見つめていると、その感覚が変化していき、やがては消えていく。でも我慢や抵抗をしていると、その我慢や抵抗のエネルギーが変化をさえぎり、その衝動の存在を維持するように働いてしまう。つまり「受け入れれば克服できる」のであり、「耐えれば克服できる」のではないのです。

「ためしてガッテン」の例では、2分毎に恐怖のレベルを紙に記録させていますが、これが大切なポイントです。それにより、被験者は恐怖を我慢するのではなく、ありのままを観察する視点になっています。だから恐怖が減少していったのです。「内観していると、恐怖感が消えていく」のであり、「我慢していると、恐怖を克服できる」のではないのです。

受け入れることで克服する場合と、耐えることで克服する場合。どちらも、段階的に徐々にできるようなっていくという点では、一見同じように見えます。でも一方は、心や体を柔らかくして、抵抗するのをやめて、受け入れていく。他方は、心や体を固くして、負けないように抵抗する力を付けていく。内面で起こっていることはまるっきり反対なのです。

ヨガをするのであれば、受け入れることで克服するアプローチと、耐える力をつけることで克服するアプローチの違いを認識することは大切です。もちろんヨガでは、受け入れるアプローチがメインとなります。

でも、ほとんどの人は、耐えることで乗り越えるアプローチしか知りません。子供のころから、我慢することは教育されても、「自分の内面で起こっていることを見つめ、それを受け入れる」ということを教わることは、ほとんどないからです。

明確な意図を持って、意識的に取り組まない限り、人はこれまでに身に付けたやり方を当然のように行います。つまり、何か課題があったら、それに耐えて、我慢して、心や体を固くして、負けないように力を付け、それによって課題を乗り越える。そんなアプローチを繰り返し行うのが普通なのです。

一方、ヨガをするということは、そのような普通のアプローチと真逆のことを、意識的に行うということです。何か課題があったら、そのときの自分の心身の反応に目を向け、それを見つめ、受け入れ、それが消えたら、次のステップに進む。それを徐々に行い、我慢することなく、抵抗することなく、受け入れる力を付けていき、楽に自然にできる部分を広げていくのです。

ためしてガッテンでは、高所恐怖症の克服がテーマでしたが、受け入れることで解消していくヨガ的アプローチは、いろいろな場面で応用できます。例えば、ヨガが好きな人ならば、ほとんどの人が感じる共通の課題として「体の固さの克服」がありますが、それも全く同じです。

適度にストレッチして、そのときの心身の抵抗感を見つめ、それをありのまま受け入れる。すると固さが消えていく。ひとつ固さが消えたら、もうちょっと伸ばして、負荷を強める。そして心身の抵抗感を見つめ、それをありのまま受け入れる。すると、またひとつ固さが消えていく。それの繰り返しです。

ここで大事なことは、「抵抗感を見つめ、それをありのまま受け入れる」というのは、「意識の働き」であるということ。意識の力で、物事に抵抗している心身の不要な働きを消していく。それがヨガをするということであり、それは高所恐怖症や体の固さの解消に限らず、あらゆる場面で活用できることなのです。