ヨガのレッスンにマインドフルネスの瞑想を取り入れると、「瞑想と座禅って違うんですか?」と聞かれることがあります。日本は禅の影響が強いせいか、「瞑想=座禅」と思っている方が多いようです。でも、瞑想には色々なやり方があって、座禅はその中の一つに過ぎません。

同様に、マインドフルネス瞑想も、世の中にたくさんある瞑想の中の一つです。さらに言えば、マインドフルネス瞑想にも、色々なやり方があります。こう書くと、瞑想が何なのか分からなくなりそうですが、そんなときは瞑想をいくつかに分類して考えるといいでしょう。

まず最初の分類は、「体を動かさないで、じっとしているのか」それとも「体を動かしているのか」です。瞑想と言えば、座禅をするときのように、じっと座っているものと思われがちですが、必ずしもそうとは限りません。例えば、同じような動きを繰り返し繰り返し行うことで、余分な思考が働かないようにしていくタイプの瞑想もあります。

また、マインドフルネスでは「歩く瞑想」を行うときがあります。歩く瞑想では、歩いているときの体の動きや感覚に目を向けて、それをしっかり自覚しながら歩くことで、自己への気づきを高めていきます。

次の分類は、「意識を一点に定めて動かさないようにしているのか」それとも「意識の焦点を動かしているのか」です。瞑想と言えば、意識を一点に集中するものと思われがちですが、これもそうとは限りません。

例えば、マインドフルネスの実践の一つに「ボディスキャン」があります。ボディスキャンでは、体は動かさないで、全身をスキャンするように意識を巡らせて、体の隅々まで身体感覚を感じ取っていきます。これも広い意味では瞑想の一種です。

一方、多くの人がイメージする瞑想は、意識を一点に集中し続けるタイプの瞑想でしょう。例えば、ロウソクの炎などを見つめ続けるトラタク瞑想や、「阿」という文字を見つめ続ける阿字観(真言密教の瞑想法)などです。マインドフルネスの実践では、呼吸に意識を向けて、呼吸に伴う身体の感覚を見つめ続ける瞑想を行ったりします。

ちなみに、仏教においては、瞑想を「ヴィパッサナー瞑想」と「サマタ瞑想」の二つに分ける場合があります。サマタ瞑想(=止行)は、心を特定の対象に結びつけて集中力を養う行法で、上述の「意識を一点に集中し続けるタイプの瞑想」に相当します。一方、ヴィパッサナー瞑想(=観行)は、物事をあるがままに観察する行法で、意識の焦点を動かす場合と動かさない場合の両方があります。

ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想は相反するものではなく、瞑想を深めていくに従って、サマタとヴィパッサナーの両方が高いレベルで達成されている状態(一点に集中しつつ、ありのままを見つめている状態)を目指していきます。

そして、そこに向かうときに、大きく二つのアプローチがあります。主に「ヴィパッサナー瞑想の側から瞑想を深めていこうとするか」それとも「主にサマタ瞑想の側から瞑想を深めていこうとするか」です。

その視点で考えると、座禅は、サマタ瞑想の側から瞑想を深めていこうとするアプローチであり、マインドフルネスは、ヴィパッサナー瞑想の側から瞑想を深めていこうとするアプローチです。

どちらのアプローチにも、それぞれの良さがあります。でも、慌ただしい日々を過ごしている現代人にとって、意識を動かさずに一点に集中し続けるサマタ瞑想のアプローチは結構難しい。サマタ瞑想側からのアプローチである座禅は、多くの人にとっては敷居が高く感じられるし、瞑想と言えば座禅、そう思っている人が「瞑想は難しいもの」と思うのは当然です。

それに対して、意識が動いてもいいから、心身を観察するやり方は、多くの人にとって、取り組みやすいアプローチです。それもマインドフルネスを実践する人が増えている理由の一つでしょう。

瞑想も、他のエクササイズと同じで、いろんな種類や、いろんな段階があります。すごく難しくて、レベルが高いものもあれば、初めてでも取り組みやすいものもあります。今の自分のレベルに合っていないことをしようとしても、うまく行かなくて当たり前。自分に合うレベルから取り組むことが大切です。

瞑想法に自分を合わせるのではなく、自分のレベルに合う瞑想法から実践していくこと。それが瞑想を深めていく上でのコツの一つ。そして、数ある瞑想法の中でも、マインドフルネスは、瞑想に慣れない人にも取り組みやすく、しっかりと効果が得られる素晴らしい方法なのです。