ヨーガスートラの原文はインド古語(サンスクリット語)で、その訳文もいろいろあります。ここでは、下記の4冊の訳文を参考にしながら、読み解いていきます。

参考書籍(番号①~④が書籍と訳文の対応を示します)
①やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ(向井田みお著)
②解説ヨーガ・スートラ(佐保田鶴治著)
③インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ(スワミ・サッチダーナンダ著)
④現代人のためのヨーガ・スートラ(グレゴール・メーレ著)

【ヨーガスートラ:1章34節】

①また心の落ち着きは、息を吐く・保持する・吸う、という呼吸の調整によっても可能です。

②あるいは、気を出す法と、それを止めておく法とによっても、心の清澄が得られる。

③あるいはその清澄は、息の制御された排出、または保留によっても保たれる。

④あるいは、息を吐き呼吸をとめることによって。

原文:
プラッチャルダナ・ヴィダーラナービャーム・ヴァー・プラーナスヤ

語句の意味:

プラッチャルダナ:吐き出すこと 

ヴィダーラナービャーム:止めること、保つこと
 
ヴァー:または、もしくは、そして、のように など

プラーナスヤ:呼吸、生気、気力、精力 など

ポイント1
原文をそのまま訳すと『息を吐く、止めて保つ、そのように呼吸』といったところ。これも前節に続き、障害(チッタ、心、マインドの乱れ)を解消する方法の一つでしょう。呼吸を整えることで、心も整う。誰でも知っていることですが、それがヨーガスートラにも書かれています。

ポイント2
ヨガの技法として、いろいろな呼吸法があるけれど、ヨーガスートラでは、特別な呼吸法の説明は無く、ただ「息を吐く、止めて保つ」とだけ述べていて、それだけで心の乱れが解消されると言います。

これはやってみればすぐに分かります。丁寧にゆっくりと息を吐く。それだけで心が整う。さらに、息を吐いた後、しばらく息が止まっている静かな状態を感じる。そうすると、さらに心が静かになる。それだけで、心を整える効果が十分にあるのです。

ポイント3
呼吸を、ヒンドゥー教の三大神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)の視点で観ると、息が止まっている状態は、創造の源のブラフマーに対応し、息を吸っている状態は、維持と発展を司るヴィシュヌに対応し、息を吐いている状態は、破壊と再生を司るシヴァに対応します。

ヨガは、心の作用を終わらせて、無の世界に帰することを目指しており、それはシヴァ神的な働きかけです。息を吐くこと(シヴァ神的アプローチ)によって、心の動揺を解消し、心静かな無の世界(ブラフマーの世界)へと還っていく。

そのような視点が理解できていると、本節の『息を吐く、止めて保つ、そのように呼吸』ということが、ヨガの本質をついた呼吸の基本であることが分かると思います。

 

【ここまでのまとめ(ボディ、マインド、スピリットの視点での訳)】

1章1節:これから、ヨガの解説をする。

1章2節:ヨガとは、マインドの働き(=心の作用)を解消することである。

1章3節:それができると、スピリットが本来の状態になる。

1章4節:普段は、スピリットとマインドが一体化して、区別がつかなくなっている。

1章5節:マインドの働きには、5種類あり、それらは人を悩み苦しませたり、そうでなかったりする。

1章6節:マインドの5つの働きとは「①正しい認識、②誤った認識、③言葉による概念や想像(ヴィカルパ)、④放心状態(ニドラー)、⑤感覚の保持(スムリティ)」である。

1章7節:正しい認識には「①自分の経験に基づき、その経験から直接分かったこと、②経験から類推して分かったこと、③経験に基づいたものではなく、本などから学んだこと」の3種類がある。

1章8節:誤った認識とは、何かを誤って解釈したことによる、正しくない理解である。

1章9節:実際には存在していなくても、言葉で理解して想像する。それがヴィカルパ(言葉による概念や想像)である。

1章10節:ニドラー(放心状態)は、何かに依存していて、想念が生まれない状態である。

1章11節:スムリティ(感覚の保持)は、何かを経験して感じたことが、消えることなく残存することである。

1章12節:マインドの働き(=心の作用)は、アビャーサとヴァイラーギャによって解消される。

1章13節:アビャーサは、ある状態にとどまろうとする取り組みを、繰り返し行うことである。

1章14節:その状態は、時間をかけて、中断することなく、意識を向けて、繰り返し実践することで、確固たる境地となる。

1章15節:自ら経験したことに対して、あるいは、自らは経験せずに伝え聞いたりしたことに対して、何かをしたいという欲求を克服して、対象をありのまま受け入れる。そのような意識がヴァイラーギャである。

1章16節:最高のヴァイラーギャは、純粋なる意識(プルシャあるいはスピリット)の視点であり、その視点に至れば、物質世界でのもろもろの事象(グナ)にとらわれなくなる。

1章17節:身体的感覚に関すること、心的感覚に関すること、究極の幸せの境地に関すること、自我の意識に関すること、それらを知ることで、完全なる理解に至る。

1章18節:あとは、想念を終わらせることを繰り返し行う。それは以前から存在しているサンスカーラの残りである。

1章19節:想念が生まれるのは、霊的な存在と、物質的な要素とが結合することによる。

1章20節:何かをしたいと思って、何か新たな行動をすると、それがこれまでの記憶や経験と結びついて、以前とは異なる新たな想念となる。

1章21節:獲得された想念により、とても強い思いで、さらに何かをしたくなる。

1章22節:想念とは異なるものがある。それは、穏やかなリラックスした状態、かつ、とらわれることのない中立な状態で、想念を超えたところにある。

1章23節:それはまた、イーシュヴァラ(全てを司る神的な聖なる存在)にすべてを委ねるということでもある。

1章24節:何らかの思考(クレーシャ)が生じる。何らかの行為(カルマ)をする。それらの結果(ヴィパーカ)が生じる。それがまた新たな思考や行為の原因(アーシャヤイル)となる。そのような事柄に影響を受けないものがあり、それがプルシャ(意識の源・真我)である。プルシャは、イーシュヴァラ(全てを司る神的な聖なる存在)が特別な形で現れたものである。

1章25節:そこ(プルシャ)は、最上の全ての知の源泉である。

1章26節:それ(プルシャ)は、太古からもともと存在している。それはまた、知を授ける存在であり、時間によって制約されることがない。

1章27節:それ(プルシャ)は、言わば「命をもたらすもの」である。

1章28節:それを繰り返し唱え、その働きについて想像し熟慮せよ。

1章29節:それにより、知性の中心へと到達し、同時に、障害となるものは無くなっていく。

1章30節:病を患っている状態、無関心にただ反応しているだけの状態、何かを疑っている状態、意識が散漫で不注意な状態、やる気がなく怠惰な状態、不摂生で自制できない状態、誤った観念で混乱している状態。それらは、基盤となるものがなく、不安定な状態のときに見られる。それはチッタ(心・マインド)の動揺によるものであり、それが障害である。

1章31節:心に生じる苦悩や失意、肉体的に不安定な状態は、呼吸の乱れと共に生じる。

1章32節:それを防ぐために、唯一の真理にとどまる取り組みを繰り返し行う。

1章33節:衆生の楽を望む慈しみの心。衆生の苦を抜いてあげたいと思う憐れみの心。衆生の喜ばしい状態を共に喜ぶ心。差別や執着を捨て、すべてを平等に観る心。それらは、安楽、苦痛、善行、悪行に、それぞれ対応する。それらを念想することで、チッタ(心・マインド)は清浄になっていく。

1章34節:(チッタの乱れを解消するには)息を吐く、止めて保つ、そのように呼吸。