ヨーガスートラの原文はインド古語(サンスクリット語)で、その訳文もいろいろあります。ここでは、下記の4冊の訳文を参考にしながら、読み解いていきます。

参考書籍(番号①~④が書籍と訳文の対応を示します)
①やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ(向井田みお著)
②解説ヨーガ・スートラ(佐保田鶴治著)
③インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ(スワミ・サッチダーナンダ著)
④現代人のためのヨーガ・スートラ(グレゴール・メーレ著)

【ヨーガスートラ:1章33節】

①明晰な知性は、(1)やさしさ (2)慈悲 (3)ゆとり (4)冷静さと、(5)快・不快 (6)徳・不徳の結果(喜び、悲しみなど) 両極端な状況に動揺しない落ち着きを養うことで可能になります。

②慈、悲、喜、捨はそれぞれ他人の幸、不幸、善行、悪行を対象すると情操であるが、これらの情操を念想することから、心の静澄が生じる。

③他の幸福を喜び(慈) 不幸を憐れみ (悲) 他の有徳を欣び(喜) 不徳を捨てる(捨) 態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ。

④心の静澄は、他人の幸福を親しみ、不幸へのあわれみ、徳への喜び、不徳への無関心を抱くことで生じる。

原文:
マイトリー・カルナー・ムディター・ウペークシャーナーム・スカ・ドゥフカ・プンニャ・アプンニャ・ヴィシャヤーナーム・バーヴァナータシュ・チッタ・プラサーダナム

語句の意味:
マイトリー:慈(衆生の安楽を望む慈しみの心)

カルナー:悲(衆生の苦を抜いてあげたいと思う憐れみの心)

ムディター:喜(衆生の喜ばしい状態を共に喜ぶ心)

ウペークシャーナーム:捨(差別や執着を捨て、すべてを平等に観る心)

スカ:安楽、快適、慰安、快楽、享楽、幸福

ドゥフカ:苦痛、悲惨、受苦、不幸、悲しみ

プンニャ:善行、徳、良いカルマとなること 

アプンニャ(プンニャの否定形):悪行、不徳、悪いカルマとなること

ヴィシャヤーナーム:~に関する、~に対応する、領域、範囲、区域、対象、場所、境界

バーヴァナータシュ:熟慮する、念想する、想像する

チッタ:心

プラサーダナム:清澄、明晰、
  

ポイント1

最初の四語「マイトリー」「カルナー」「ムディター」「ウペークシャー」は、仏教で説かれる心のあり方で、「慈(じ)・悲(ひ)・喜(き)・捨(しゃ)」と訳され、それらをまとめて「四無量心(しむりょうしん)」と言います。

 慈悲喜捨 = 四無量心

 慈:衆生の安楽を望む慈しみの心
 悲:衆生の苦を抜いてあげたいと思う憐れみの心
 喜:衆生の喜ばしい状態を共に喜ぶ心
 捨:差別や執着を捨て、すべてを平等に観る心
  

ポイント2

心の浄化のために、四無量心(慈悲喜捨)を念想することは、古くから重要視されていて、仏教の教えには、以下のようなものがあります。

慈の瞑想を深めなさい。慈の瞑想を深めれば、どんな憎悪も消えていきます。
悲の瞑想を深めなさい。悲の瞑想を深めれば、どんな害意も消えていきます。
喜の瞑想を深めなさい。喜の瞑想を深めれば、どんな不満も消えていきます。
捨の瞑想を深めなさい。捨の瞑想を深めれば、どんな怒りも消えていきます。

ポイント3

本節では、最初の四無量心と、その後の「スカ」「ドゥフカ」「プンニャ」「アプンニャ」が、以下のように対応した構成になっています。

 マイトリー(衆生の楽を望む慈しみの心)は、スカ(安楽)に対応する。

 カルナー(衆生の苦を抜いてあげたいと思う憐れみの心)は、ドゥフカ(苦痛)に対応する。

 ムディター(衆生の喜ばしい状態を共に喜ぶ心)は、プンニャ(善行)に対応する。

 ウペークシャー(差別や執着を捨て、すべてを平等に観る心)は、アプンニャ(悪行)に対応する。
  

ポイント4

本節後半の「バーヴァナータシュ・チッタ・プラサーダナム」は、「熟慮し念想することで、心が清浄になる」という意味です。四無量心の部分と組み合わせると、全体としては、下記のような意味合いになります。

安楽に対応する心。それは、衆生の楽を望む慈しみの心。
苦痛に対応する心。それは、衆生の苦を抜いてあげたいと思う憐れみの心。
良きカルマとなる善行に対応する心。それは、衆生の喜ばしい状態を共に喜ぶ心。
悪しきカルマとなる悪行に対応する心。それは、差別や執着を捨て、すべてを平等に観る心。
こららを念想することで、チッタ(心・マインド)は清浄になっていく。

  
上記の内容を原文の流れに従って訳すと、以下のようになります。

『衆生の楽を望む慈しみの心。衆生の苦を抜いてあげたいと思う憐れみの心。衆生の喜ばしい状態を共に喜ぶ心。差別や執着を捨て、すべてを平等に観る心。それらは、安楽、苦痛、善行、悪行に、それぞれ対応する。それらを念想することで、チッタ(心・マインド)は清浄になっていく。』
  

【ここまでのまとめ(ボディ、マインド、スピリットの視点での訳)】

1章1節:これから、ヨガの解説をする。

1章2節:ヨガとは、マインドの働き(=心の作用)を解消することである。

1章3節:それができると、スピリットが本来の状態になる。

1章4節:普段は、スピリットとマインドが一体化して、区別がつかなくなっている。

1章5節:マインドの働きには、5種類あり、それらは人を悩み苦しませたり、そうでなかったりする。

1章6節:マインドの5つの働きとは「①正しい認識、②誤った認識、③言葉による概念や想像(ヴィカルパ)、④放心状態(ニドラー)、⑤感覚の保持(スムリティ)」である。

1章7節:正しい認識には「①自分の経験に基づき、その経験から直接分かったこと、②経験から類推して分かったこと、③経験に基づいたものではなく、本などから学んだこと」の3種類がある。

1章8節:誤った認識とは、何かを誤って解釈したことによる、正しくない理解である。

1章9節:実際には存在していなくても、言葉で理解して想像する。それがヴィカルパ(言葉による概念や想像)である。

1章10節:ニドラー(放心状態)は、何かに依存していて、想念が生まれない状態である。

1章11節:スムリティ(感覚の保持)は、何かを経験して感じたことが、消えることなく残存することである。

1章12節:マインドの働き(=心の作用)は、アビャーサとヴァイラーギャによって解消される。

1章13節:アビャーサは、ある状態にとどまろうとする取り組みを、繰り返し行うことである。

1章14節:その状態は、時間をかけて、中断することなく、意識を向けて、繰り返し実践することで、確固たる境地となる。

1章15節:自ら経験したことに対して、あるいは、自らは経験せずに伝え聞いたりしたことに対して、何かをしたいという欲求を克服して、対象をありのまま受け入れる。そのような意識がヴァイラーギャである。

1章16節:最高のヴァイラーギャは、純粋なる意識(プルシャあるいはスピリット)の視点であり、その視点に至れば、物質世界でのもろもろの事象(グナ)にとらわれなくなる。

1章17節:身体的感覚に関すること、心的感覚に関すること、究極の幸せの境地に関すること、自我の意識に関すること、それらを知ることで、完全なる理解に至る。

1章18節:あとは、想念を終わらせることを繰り返し行う。それは以前から存在しているサンスカーラの残りである。

1章19節:想念が生まれるのは、霊的な存在と、物質的な要素とが結合することによる。

1章20節:何かをしたいと思って、何か新たな行動をすると、それがこれまでの記憶や経験と結びついて、以前とは異なる新たな想念となる。

1章21節:獲得された想念により、とても強い思いで、さらに何かをしたくなる。

1章22節:想念とは異なるものがある。それは、穏やかなリラックスした状態、かつ、とらわれることのない中立な状態で、想念を超えたところにある。

1章23節:それはまた、イーシュヴァラ(全てを司る神的な聖なる存在)にすべてを委ねるということでもある。

1章24節:何らかの思考(クレーシャ)が生じる。何らかの行為(カルマ)をする。それらの結果(ヴィパーカ)が生じる。それがまた新たな思考や行為の原因(アーシャヤイル)となる。そのような事柄に影響を受けないものがあり、それがプルシャ(意識の源・真我)である。プルシャは、イーシュヴァラ(全てを司る神的な聖なる存在)が特別な形で現れたものである。

1章25節:そこ(プルシャ)は、最上の全ての知の源泉である。

1章26節:それ(プルシャ)は、太古からもともと存在している。それはまた、知を授ける存在であり、時間によって制約されることがない。

1章27節:それ(プルシャ)は、言わば「命をもたらすもの」である。

1章28節:それを繰り返し唱え、その働きについて想像し熟慮せよ。

1章29節:それにより、知性の中心へと到達し、同時に、障害となるものは無くなっていく。

1章30節:病を患っている状態、無関心にただ反応しているだけの状態、何かを疑っている状態、意識が散漫で不注意な状態、やる気がなく怠惰な状態、不摂生で自制できない状態、誤った観念で混乱している状態。それらは、基盤となるものがなく、不安定な状態のときに見られる。それはチッタ(心・マインド)の動揺によるものであり、それが障害である。

1章31節:心に生じる苦悩や失意、肉体的に不安定な状態は、呼吸の乱れと共に生じる。

1章32節:それを防ぐために、唯一の真理にとどまる取り組みを繰り返し行う。

1章33節:衆生の楽を望む慈しみの心。衆生の苦を抜いてあげたいと思う憐れみの心。衆生の喜ばしい状態を共に喜ぶ心。差別や執着を捨て、すべてを平等に観る心。それらは、安楽、苦痛、善行、悪行に、それぞれ対応する。それらを念想することで、チッタ(心・マインド)は清浄になっていく。