ヨーガスートラの原文はインド古語(サンスクリット語)で、その訳文もいろいろあります。ここでは、下記の4冊の訳文を参考にしながら、読み解いていきます。

参考書籍(番号①~④が書籍と訳文の対応を示します)
①やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ(向井田みお著)
②解説ヨーガ・スートラ(佐保田鶴治著)
③インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ(スワミ・サッチダーナンダ著)
④現代人のためのヨーガ・スートラ(グレゴール・メーレ著)

【ヨーガスートラ:1章21節】

①集中し、(繰り返し、瞑想を練習すれば)程よいスピードでサマーディ(瞑想状態)に至ります。

②解脱を求める強い熱情をもつ行者たちには、無想三昧の成功は間近い。

③強い熱情をもって修練する者には、これ〔アサムプラジュニャータ・サマーディ〕は非常にすみやかに来る。

④大変熱烈に実践する者にとって、サマーディは近い。

ポイント1
原文をカタカナで書くと「ティーヴラ・サンヴェーガーナーム・アーサンナハ」です。本節は三つの言葉しかありません。

ティーヴラは、「強烈なこと」を意味する形容詞で、ややネガティブなニュアンスのある言葉です。

サンヴェーガーナームは、何かをしたくなる欲求(衝動)を意味する「vega」に、強調の接頭語「saM」が結びついた言葉です。

アーサンナハは、獲得して身近にあることを意味する言葉です。

ポイント2
本節はとても短いですが、短いからこそ難しい。主語と述語のある文章になっていないので、そもそも何の説明をしているのかが、本節だけだと分かりません。前節までの流れを受けて、解釈することになります。

従来の訳では、前節は「ヨガの行者がサマーディに至る方法」を説明しているとしています。それを受けて本節を「(ヨガの行者にとってサマーディは)熱心に取り組めば近い」と解釈しています。

しかしながら、前節が「想念」の説明であるならば、本節は全然違うものになります。その場合、本節の意味は「獲得されたもの(=想念)により、とても強い思いで、何かをしたくなる。」といったところでしょう。

ポイント3
1章19節~21節のことを、想念(=ヨガで消していくべき対象)についての説明と解釈すると、とても理解しやすくなります。簡単にまとめると、以下のようになります。

(19節)霊的な存在と、物質的な要素とが結合することで、想念が生まれる。
(20節)想念の欲求に基づいて行動をすると、それがこれまでの記憶や経験と結びついて、新たな想念となる。
(21節)その想念によって、さらに何かをしたい欲求が生まれる。

【ここまでのまとめ(ボディ、マインド、スピリットの視点での訳)】

1章1節:これから、ヨガの解説をする。

1章2節:ヨガとは、マインドの働き(=心の作用)を解消することである。

1章3節:それができると、スピリットが本来の状態になる。

1章4節:普段は、スピリットとマインドが一体化して、区別がつかなくなっている。

1章5節:マインドの働きには、5種類あり、それらは人を悩み苦しませたり、そうでなかったりする。

1章6節:マインドの5つの働きとは「①正しい認識、②誤った認識、③言葉による概念や想像(ヴィカルパ)、④放心状態(ニドラー)、⑤感覚の保持(スムリティ)」である。

1章7節:正しい認識には「①自分の経験に基づき、その経験から直接分かったこと、②経験から類推して分かったこと、③経験に基づいたものではなく、本などから学んだこと」の3種類がある。

1章8節:誤った認識とは、何かを誤って解釈したことによる、正しくない理解である。

1章9節:実際には存在していなくても、言葉で理解して想像する。それがヴィカルパ(言葉による概念や想像)である。

1章10節:ニドラー(放心状態)は、何かに依存していて、想念が生まれない状態である。

1章11節:スムリティ(感覚の保持)は、何かを経験して感じたことが、消えることなく残存することである。

1章12節:マインドの働き(=心の作用)は、アビャーサとヴァイラーギャによって解消される。

1章13節:アビャーサは、ある状態にとどまろうとする取り組みを、繰り返し行うことである。

1章14節:その状態は、時間をかけて、中断することなく、意識を向けて、繰り返し実践することで、確固たる境地となる。

1章15節:自ら経験したことに対して、あるいは、自らは経験せずに伝え聞いたりしたことに対して、何かをしたいという欲求を克服して、対象をありのまま受け入れる。そのような意識がヴァイラーギャである。

1章16節:最高のヴァイラーギャは、純粋なる意識(プルシャあるいはスピリット)の視点であり、その視点に至れば、物質世界でのもろもろの事象(グナ)にとらわれなくなる。

1章17節:身体的感覚に関すること、心的感覚に関すること、究極の幸せの境地に関すること、自我の意識に関すること、それらを知ることで、完全なる理解に至る。

1章18節:あとは、想念を終わらせることを繰り返し行う。それは以前から存在しているサンスカーラの残りである。

1章19節:想念が生まれるのは、霊的な存在と、物質的な要素とが結合することによる。

1章20節:何かをしたいと思って、何か新たな行動をすると、それがこれまでの記憶や経験と結びついて、以前とは異なる新たな想念となる。

1章21節:獲得された想念により、とても強い思いで、さらに何かをしたくなる。

 


ヨーガスートラの解説本で、本節を初めて読んだとき、「そんなことをわざわざ書くだろうか?」と思いました。ヨーガスートラは、ヨーガのエッセンスを凝縮した、とても論理的な経典のはず。それなのに「熱心に取り組めば、サマーディは近い」だって?? 最初に読んだ時から、すごく違和感を覚える訳でした。

当時(2005年)は原文にあたることなく、ただ解説本を読んでいただけなので、なんだか変だなぁ、と思っただけでした。しかしながら、解説本に頼らず、素直に原文を読んで理解に努めると、やっぱりヨーガスートラはすごく論理的で、大切なポイントを簡潔に、無駄なく、的確に解説しているだなぁ、と改めて感じています。