
*** AIによる解説 ***
原文:
सुखानुशयी रागः॥७॥
読み方:
スカーヌシャヨー ラーガハ
英訳:
Attachment (Rāga) is that which follows after pleasure.
和訳:
ラーガ(執着)とは、快楽に伴って残る印象(痕跡)である。
各単語の日本語での意味:
सुख (sukha,スカ):快楽、喜び、心地よさ
अनुशयी (anuśayī,アヌシャイー):あとに残るもの、潜在的に続くもの、痕跡
रागः (rāgaḥ,ラーガハ):執着、欲望、愛着(感情的にとらわれる心)
解説:
このスートラでは、「ラーガ(執着)」がどのように生まれるかを示しています。
人は「快楽(sukha)」を経験すると、その感覚をまた得たいと願うようになります。その願いが「執着(rāga)」となり、心の中に痕跡(anuśayī)として残り続けます。この痕跡が、再び似た状況に出会ったときに「もっと欲しい」「逃したくない」といった反応を引き起こすのです。
ラーガは心を乱し、内なる平安(サマーディ)を妨げる要因のひとつです。ヨーガでは「快楽=良いもの」とは限らず、執着によって心がとらわれることこそが問題だと考えます。
快楽に残された痕跡が、執着(ラーガ)になり、執着は心を縛り、自由と悟りの障害となります。したがって、快・不快に対して無執着な心(vairāgya)を育てることが、ヨーガの修行として成すべきことです。
*** ここまではAIによる解説。以下はそれを踏まえての解釈です ***

本節では、クレーシャ(苦悩や煩悩) の5つの要素のうちの3つ目「ラーガ」を解説していますが、ここでのキーワードは「アヌシャイー」です。
「アヌ」は「~の後に、~に続いて」を意味し、「シャイ」は「留まる、横たわる、残存する」を意味しています。これに「イー」をつけることで現在分詞形になり、「アヌ・シャイの状態になっている」となります。
したがって、アヌシャイーの意味は、「~の後に留まっている状態」「~の後に残っているもの」などの意味合いになります。スカ(快楽)の後に心に潜むように残る痕跡があり、そのような痕跡のことを「潜在的な印象」と言います。それは心の中に潜んでいて、次に似た状況が現れると欲望として再燃します。このことを仏教では「阿頼耶識の種子(しゅうじ)」と呼んでいます。
つまり、スカ(快楽)の後に心の中に残るものがあり、それがラーガ(執着)となるのです。ポイントは、単に快楽を求めるのが執着ということではなく、快楽の後に心の中に残るものがあり、それがラーガ(執着)の正体であるということです。
以上を踏まえて本節を訳すと、以下のようになります。
スカ(快楽)の後に残るもの(潜在印象)があり、それがラーガ(執着)となる。

ヨーガスートラ第2章(本節までの訳)
第1節:タパス(肉体を浄化して整えること)、スヴァーディヤーヤ (知的な理解を深めること)、イーシュワラ プラニダーナ(神に委ねること)。それらの実践によりヨガを成し遂げることができる。
第2節:
その目的は、サマーディの状態に至るとともに、クレーシャ(苦悩や煩悩)を弱めていくことである。
第3節:
アヴィディヤ(無知)、アスミタ(我執)、ラーガ(執着)、ドヴェーシャ(嫌悪)、アビニヴェーシャ(生命への固執)が、クレーシャ(苦悩や煩悩)の源である。
第4節:
アヴィディヤ(無知)は、他のクレーシャ(苦悩や煩悩)のもととなる。眠りに落ちているかのようにもろく弱く、高貴なものとの繋がりが断たれている状態である。
第5節:
永遠ではないもの、不純なもの、苦しみ、自己の本質でないもの。永遠なるもの、純粋なもの、安楽、自己の本質。それらについて、誤って認識しているのがアヴィディヤ(無知)である。
第6節:
アスミタ(我執)は、「ドゥリグ(見る者、観照者)」と「ダルシャナ(見る働き、認識の作用)」を一体視してしまうことである。
第7節:
スカ(快楽)の後に残るもの(潜在印象)があり、それがラーガ(執着)となる。