*** AIによる解説 ***

原文:
अविद्या क्षेत्रमुत्तरेषां प्रसुप्ततनुविच्छिन्नोदाराणाम्॥

読み方:
アヴィディヤー クシェートラム ウッタレーシャーム プラスプタ タヌ ヴィッチンナ ウダラーナーム

英訳:
Ignorance is the field for the other afflictions, whether dormant, attenuated, interrupted, or active.

和訳:
無知(アヴィディヤー)は、他の苦悩(クレーシャ)の土台であり、それらが眠っている状態でも、弱まっている状態でも、一時的に途切れている状態でも、活発な状態でも同様である。

各単語の日本語での意味:

अविद्या (avidyā): 無知、真実を知らないこと

क्षेत्रम् (kṣetram): 場所、土台、基盤

उत्तरेषां (uttareṣām): 他のもの、ここでは他のクレーシャを指す

प्रसुप्त (prasupta): 眠っている、潜在的な

तनु (tanu): 薄い、弱まっている

विच्छिन्न (vicchinna): 一時的に途切れている、抑制されている

उदार (udāra): 活発な、顕著な

解説:
この節では、無知(アヴィディヤー)が他のクレーシャ(苦悩)の根本的な原因であることを示しています。

アヴィディヤー(無知)の役割
・アヴィディヤーは、他の4つのクレーシャ(アスミター、ラーガ、ドヴェーシャ、アビニヴェーシャ)の基盤として働きます。
・他のクレーシャがどのような状態であっても、それらの根底には常に無知が存在します。

クレーシャの4つの状態
この節では、クレーシャが以下の4つの状態で現れると述べています:

1. प्रसुप्त (prasupta):
◦ 眠っている状態。
◦ 潜在的で表面化していないが、条件が整うと現れる可能性がある。

2. तनु (tanu):
◦ 弱まっている状態。
◦ ヨーガの実践や努力によって影響が小さくなっている。

3. विच्छिन्न (vicchinna):
◦ 一時的に途切れている状態。
◦ 他の強い感情や状況によって一時的に抑えられているが、再び現れる可能性がある。

4. उदार (udāra):
◦ 活発な状態。
◦ クレーシャが顕在化し、心に大きな影響を与えている。

ヨーガの実践とアヴィディヤー
• アヴィディヤーを克服することが、他のクレーシャを根本的に解消する鍵となります。
• クレーシャがどの状態であっても、その原因を理解し、ヨーガの実践(瞑想、自己観察、クリヤヨガなど)を通じて軽減し、最終的に消滅させることを目指します。

まとめ
この節は、苦悩(クレーシャ)の根源である無知(アヴィディヤー)を明確に指摘し、それが他の苦悩を生む土台であることを示しています。クレーシャを克服するには、無知を取り除き、真実(自己や宇宙の本質)を理解することが不可欠です。この理解がヨーガの目的であり、精神的解放(モクシャ)への道を開きます。

*** ここまではAIによる解説。以下はそれを踏まえての解釈です ***

ポイント1
前半の「アヴィディヤー クシェートラム ウッタレーシャーム」は、「アヴィディヤ」が他の4つのクレーシャ(苦悩や煩悩)のもとになることを述べています。これは問題ないでしょう。

一方、後半の「プラスプタ タヌ ヴィッチンナ ウダラーナーム」の訳は、よく分かりません。AIの訳では「それらが眠っている状態でも、弱まっている状態でも、一時的に途切れている状態でも、活発な状態でも同様である。」となっていますが、この訳は理解に苦しみます。(AIが悪いわけではありません。従来の多くの訳では、このような意味合いで訳されていて、AIは多数派の考えをまとめて記述しているだけです)

ポイント2
後半の語句を文法的にみると、プラスプタは過去受動分詞、 タヌ は形容詞、ヴィッチンナは過去受動分詞、ウダラーナームは形容詞です。ですから、従来の訳のように「プラスプタ」「タヌ」「ヴィッチンナ」「ウダラーナーム」の四つを対等の語として訳すのではなく、「プラスプタ・タヌ」と「ヴィッチンナ・ウダラーナーム」が対比的に書かれていると解釈した方が自然でしょう。

各語の意味をもう少し詳しく見てみましょう。
 プラスプタ:眠っている、麻痺している、感覚がない、不活発、など
 タヌ:薄い、小さい、細い、痩せた、乏しい、もろく弱い、繊細な、など
 ヴィッチンナ:断たれた、壊れた、分離された、中断された、連続性が断ち切られた、など
 ウダーラーナーム:高貴な、鼓舞する、活発な、名高い、優れた、名門の、威厳ある、など

これらをもとにすると、プラスプタ・タヌは「眠りに落ちているかのようにもろく弱い状態」で、ヴィッチンナ・ウダラーナームは「高貴なものとの繋がりが断たれた状態」と解釈でき、全文を訳すと以下のようになります。

アヴィディヤ(無知)は、他のクレーシャ(苦悩や煩悩)のもととなる。眠りに落ちているかのようにもろく弱く、高貴なものとの繋がりが断たれている状態である。

ポイント3
本来、すべての存在は繋がりあい、すべてはひとつ(ワンネス)です。個々の魂(アートマン)は、大いなる神的な存在(ブラフマン)と同じもの。でも、意識が目覚めていない人類は、そのことを知ることなく、神を遠い存在のように思い、カルマの輪の中で、あたかもの夢遊病のように日々を過ごしている。このような視点を持っていると、本節の言わんとすることを理解しやすいと思います。


ヨーガスートラ・第2章(本節までの訳)

第1節:タパス(肉体を浄化して整えること)、スヴァーディヤーヤ (知的な理解を深めること)、イーシュワラ プラニダーナ(神に委ねること)。それらの実践によりヨガを成し遂げることができる。

第2節:
その目的は、サマーディの状態に至るとともに、クレーシャ(苦悩や煩悩)を弱めていくことである。

第3節:
アヴィディヤ(無知)、アスミタ(我執)、ラーガ(執着)、ドヴェーシャ(嫌悪)、アビニヴェーシャ(生命への固執)が、クレーシャ(苦悩や煩悩)の源である。

第4節:
アヴィディヤ(無知)は、他のクレーシャ(苦悩や煩悩)のもととなる。眠りに落ちているかのようにもろく弱く、高貴なものとの繋がりが断たれている状態である。