ヨーガスートラの原文はインド古語(サンスクリット語)で、その訳文もいろいろあります。ここでは、下記の4冊の訳文を参考にしながら、読み解いていきます。
参考書籍(番号①~④が書籍と訳文の対応を示します)
①やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ(向井田みお著)
②解説ヨーガ・スートラ(佐保田鶴治著)
③インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ(スワミ・サッチダーナンダ著)
④現代人のためのヨーガ・スートラ(グレゴール・メーレ著)
【ヨーガスートラ:1章16節】
①自分の真実を理解した時、見極めは完全になります。完全な知恵と見極めによって、人はどんな物からも自由になります。
②離欲の最高のものは、真我についての真智を得た人が抱くもので、三徳そのものに対する離欲である。
③プルシャ【真の自己】の悟得によってグナ【自然(プラクリティ)の構成要素】に対してさえ渇望のなくなったとき、それが至上の離欲(ヴァイラーギャ)である。
④最高の離欲とは意識を認識することから起こり、グナの現れに対する渇望がないことである。
ポイント1
前節に引き続き「ヴァイラーギャ」の説明です。訳文を見ると難しそうですが、原文に書かれているのは「それの最高のものは、プルシャの視点で、グナに対する欲がない。」という程度です。
ポイント2
「プルシャ」の意味は「純粋意識、至高の存在、最高精神、普遍的霊魂、宇宙の根源」などであり、「プルシャの視点」のところが、訳文では「自分の真実を理解」「真我についての真智」「真の自己の悟得」「意識を認識すること」となっています。
インド哲学の考え方では、プルシャ(純粋意識)に対して、プラクリティ(物質世界の源)があり、プラクリティから物質世界が生まれるとき、それらの構成要素をグナといいます。つまり、プルシャに対応するものとして、物質世界でのもろもろの事象(グナ)があるということです。
そして本節で述べているのは、「純粋なる意識(プルシャ)に至れば、物質世界でのもろもろの事象(グナ)にとらわれなくなり、それが最高のヴァイラーギャ(離欲)である」ということです。
ポイント3
プルシャと同様のものに、スピリット、アートマンがあります。これらの言葉が何を指しているかは、人によって意見が分かれるかもしれませんが、私はこれらは本質的には同じものを指していると理解しています。
プルシャ、スピリット、アートマンは、いずれも意識の源となるものであり、命の源泉的存在です。本質的には同じものですが、対比するものによって呼び方を変わります。つまり「ボディ&マインドに対してスピリット」「プラクリティに対してプルシャ」「ブラフマンに対してアートマン」です。
【ここまでのまとめ(ボディ、マインド、スピリットの視点での訳)】
1章1節:これから、ヨガの解説をする。
1章2節:ヨガとは、マインドの働き(=心の作用)を解消することである。
1章3節:それができると、スピリットが本来の状態になる。
1章4節:普段は、スピリットとマインドが一体化して、区別がつかなくなっている。
1章5節:マインドの働きには、5種類あり、それらは人を悩み苦しませたり、そうでなかったりする。
1章6節:マインドの5つの働きとは「①正しい認識、②誤った認識、③言葉による概念や想像(ヴィカルパ)、④放心状態(ニドラー)、⑤感覚の保持(スムリティ)」である。
1章7節:正しい認識には「①自分の経験に基づき、その経験から直接分かったこと、②経験から類推して分かったこと、③経験に基づいたものではなく、本などから学んだこと」の3種類がある。
1章8節:誤った認識とは、何かを誤って解釈したことによる、正しくない理解である。
1章9節:実際には存在していなくても、言葉で理解して想像する。それがヴィカルパ(言葉による概念や想像)である。
1章10節:ニドラー(放心状態)は、何かに依存していて、想念が生まれない状態である。
1章11節:スムリティ(感覚の保持)は、何かを経験して感じたことが、消えることなく残存することである。
1章12節:マインドの働き(=心の作用)は、アビャーサとヴァイラーギャによって解消される。
1章13節:アビャーサは、ある状態にとどまろうとする取り組みを、繰り返し行うことである。
1章14節:その状態は、時間をかけて、中断することなく、意識を向けて、繰り返し実践することで、確固たる境地となる。
1章15節:自ら経験したことに対して、あるいは、自らは経験せずに伝え聞いたりしたことに対して、何かをしたいという欲求を克服して、対象をありのまま受け入れる。そのような意識がヴァイラーギャである。
1章16節:最高のヴァイラーギャは、純粋なる意識(プルシャあるいはスピリット)の視点であり、その視点に至れば、物質世界でのもろもろの事象(グナ)にとらわれなくなる。