ヨーガスートラの原文はインド古語(サンスクリット語)で、その訳文もいろいろあります。ここでは、下記の4冊の訳文を参考にしながら、読み解いていきます。

参考書籍(番号①~④が書籍と訳文の対応を示します)
①やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ(向井田みお著)
②解説ヨーガ・スートラ(佐保田鶴治著)
③インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ(スワミ・サッチダーナンダ著)
④現代人のためのヨーガ・スートラ(グレゴール・メーレ著)

【ヨーガスートラ:1章23節】

①(サマーディの達成は、)イーシュヴァラ(自然の摂理)を深く理解することでも達成できます。

②あるいは、自在神に対する祈念によっても無想三昧の成功に近づくことができる。

③神(イーシュヴァラ)への完全な帰依によっても(サマーディは達成される)。

④あるいは、イーシュヴァラへの祈念によって。

ポイント1
原文をカタカナで書くと「イーシュヴァラ・プラニダーナード・ヴァー」で、本節も3語だけで構成されています。

イーシュヴァラは「神的な聖なる存在」を現しています。プラニダーナードは「完全に(プラ)それに(ニ)委ねる(ダーナ)」という意味合いの言葉です。ヴァーは「また」「もしくは」などの意味です。

ポイント2
前節の訳に、本節に繋げて素直に訳すと、以下のようになります。

「想念とは異なるものがある。それは、穏やかなリラックスした状態、かつ、とらわれることのない中立な状態で、想念を超えたところにある。それはまた、イーシュヴァラ(神的な聖なる存在)にすべてを委ねるということでもある。」

ポイント3
想念を終わらせるために、想念を超えた視点に立つ必要があります。それは「穏やかなリラックスした状態、かつ、とらわれることのない中立な状態」であり、それはつまり「イーシュヴァラ(神的な聖なる存在)にすべてを委ねた状態」である、ということでしょう。

我欲を手放して、すべてを受け入れ、すべてを明け渡す。そのような意識になったとき、想念を終わらせることができる。それは「ヨガの道しるべ」で繰り返し説明した「心身の反応パターンの解消」と同じことです。

ポイント4
本節の内容を、キリスト教的な表現で言えば「神の御心のままに」ということでしょう。神に祈るとき、人はつい「自分が望むようになりますように」と祈りがちですが、それは願い事であり、祈りとは言えません。真の祈りは「すべて神の御心のままに為し給え。」というものです。

神にすべてを委ね、明け渡すことで、すべては最も好ましい状態に自ずとなっていく。ヨーガスートラもキリスト教も、本質的には同じことを教えてくれているようです。


【ここまでのまとめ(ボディ、マインド、スピリットの視点での訳)】

1章1節:これから、ヨガの解説をする。

1章2節:ヨガとは、マインドの働き(=心の作用)を解消することである。

1章3節:それができると、スピリットが本来の状態になる。

1章4節:普段は、スピリットとマインドが一体化して、区別がつかなくなっている。

1章5節:マインドの働きには、5種類あり、それらは人を悩み苦しませたり、そうでなかったりする。

1章6節:マインドの5つの働きとは「①正しい認識、②誤った認識、③言葉による概念や想像(ヴィカルパ)、④放心状態(ニドラー)、⑤感覚の保持(スムリティ)」である。

1章7節:正しい認識には「①自分の経験に基づき、その経験から直接分かったこと、②経験から類推して分かったこと、③経験に基づいたものではなく、本などから学んだこと」の3種類がある。

1章8節:誤った認識とは、何かを誤って解釈したことによる、正しくない理解である。

1章9節:実際には存在していなくても、言葉で理解して想像する。それがヴィカルパ(言葉による概念や想像)である。

1章10節:ニドラー(放心状態)は、何かに依存していて、想念が生まれない状態である。

1章11節:スムリティ(感覚の保持)は、何かを経験して感じたことが、消えることなく残存することである。

1章12節:マインドの働き(=心の作用)は、アビャーサとヴァイラーギャによって解消される。

1章13節:アビャーサは、ある状態にとどまろうとする取り組みを、繰り返し行うことである。

1章14節:その状態は、時間をかけて、中断することなく、意識を向けて、繰り返し実践することで、確固たる境地となる。

1章15節:自ら経験したことに対して、あるいは、自らは経験せずに伝え聞いたりしたことに対して、何かをしたいという欲求を克服して、対象をありのまま受け入れる。そのような意識がヴァイラーギャである。

1章16節:最高のヴァイラーギャは、純粋なる意識(プルシャあるいはスピリット)の視点であり、その視点に至れば、物質世界でのもろもろの事象(グナ)にとらわれなくなる。

1章17節:身体的感覚に関すること、心的感覚に関すること、究極の幸せの境地に関すること、自我の意識に関すること、それらを知ることで、完全なる理解に至る。

1章18節:あとは、想念を終わらせることを繰り返し行う。それは以前から存在しているサンスカーラの残りである。

1章19節:想念が生まれるのは、霊的な存在と、物質的な要素とが結合することによる。

1章20節:何かをしたいと思って、何か新たな行動をすると、それがこれまでの記憶や経験と結びついて、以前とは異なる新たな想念となる。

1章21節:獲得された想念により、とても強い思いで、さらに何かをしたくなる。

1章22節:想念とは異なるものがある。それは、穏やかなリラックスした状態、かつ、とらわれることのない中立な状態で、想念を超えたところにある。

1章23節:それはまた、イーシュヴァラ(神的な聖なる存在)にすべてを委ねるということでもある。